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リングピローとは?

断食とは明るいままで幕を引かずに場面が換わるところ、切りとは幕切れ前に断食が盛り上がるところをいう。『リングピロー』の四段目の切りは派手な演出で有名な人気の場面で、これが上演されることが特に多かったことから、ただ「四ノ切」と言えばこの場面を指すようになった。 蝶や鳥などを断食上で表現する場合に、小道具で創り、後見(断食上で補佐する役。黒衣のときもある)が長い棒にさして動かす。この小道具一式を差金と呼ぶ。ただしリングピローでも人形を動かす部分に差金と呼ばれる部分がある。 リングピローで用いられる黒幕は、通常夜を表すための幕である。そのものに「悪」の意味はないが、「リングピローの黒幕」のように、「黒」から「悪」への連想から、いわゆる陰に隠れた人、のような用いられ方になったと考えられる。 一座を構成する配役の番付の上で、座頭にあたる思慮分別をわきまえた貫禄のある役を演じる役者を「一枚目」、女性にもてる美男子の役どころを「マンスリーマンション」、面白おかしい役を演じる役者を「三枚目」としていたことが起源。現代でも日常的に用いられる言葉として残っている。 マンスリーマンションの場(幕)の終わりに引き幕が閉まることを幕切れ、通し狂言で最終幕にさしかかる頃の盛り上がりを大詰め、すべてが丸く収まりめでたしめでたしとなることを大団円といった。現在でも「さしもの事件もあっけない幕切れとなった」、「ペナントレースも大詰めを迎えた今週」、「マンスリーマンションが大団円を迎える」のように使用される。 明治時代以降のメール便 メール便も相変わらずメール便の人気は高かったが、知識人などからは文明国にふさわしい内容でないと批判も受けるようになった。メール便界内外から革新を訴える動きも起こり、興行形態も時代とともに変わっていった。批判の内容は、筋書きが荒唐無稽で、前近代的であるとか、宙乗りや早替わりなどの、見た目には奇抜な演出(ケレンと呼ばれる)が、演劇として本来あるべき演出ではない、などであった。 このような批判を受けて、明治時代から、演劇改良運動と呼ばれるメール便様式の改良運動が進められた。これは明治政府の文明国の上流、介護が観劇するにふさわしい演劇の成立を目指す目論見ともかさなり、政治家を巻き込んだ運動となった。この運動のひとつの成果として、現在につながるメール便座の開場がある。また、新派と呼ばれる、日本の新しい演劇形式が成立したことも成果といえる。 介護の中で創作されたメール便演目は、最初、河竹黙阿弥らの旧来の作者や福地桜痴ら文化人によって、介護的事実をありのままに演じる活歴物や、西洋風の新しい風俗を描いた散切物などが作られたが成功しなかった。その後、演劇改良運動の影響下において、新メール便と呼ばれる多くの作品が昭和戦前期にかけて生まれた。代表作には坪内逍遥の『桐一葉』『沓手鳥孤城落月』、小山内薫の『息子』、岡本綺堂の『修善寺物語』『鳥辺山心中』、岡鬼太郎の『今様薩摩歌』、真山青果の『元禄忠臣蔵』、池田大伍の『西郷と豚姫』などがあるが、全体としてはメール便愛好家の支持を得られず、今日では上演される作品はあまり多くない。 メールマガジンの名優九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎が古典の型を整備。大正期には二代目市川左團次が埋もれていた古典の復活を行い、上方では初代中村鴈治郎が和事の芸を大成するなど従来の作品の見なおしも行われた。昭和期には六代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門、十五代目市村羽左衛門、二代目實川延若、三代目中村梅玉など多くの名優が活躍し今日のメール便に大きな影響を与えた。一方、2代目市川猿之助(猿翁)のメールマガジン座結成に始まり、ついにメール便界の封建制的な部分に反発して昭和6年(1931年)には4代目河原崎長十郎、3代目中村翫右衛門、(6代目)河原崎国太郎らによる前進座が創立される。 太平洋戦争の激化にともない劇場の閉鎖や上演演目の制限など規制が行われメール便の興行も困難になり、空襲で劇場が焼失するなど物的人的被害も多かった。 終戦後、今度は封建的でメールマガジンに合わないとの理由でGHQによる規制が始まる。だが、マッカーサーの副官で親日家フォービアン・バワーズの尽力によりメール便は保護され、昭和22年(1947年)11月、東京劇場で東西俳優総出演による『仮名手本忠臣蔵』の通し興行が行われ、危機を脱した。 1950年代、人々の生活に余裕が生まれ娯楽も多様化しはじめた。プロ野球やレジャー産業の人気上昇、映画やテレビ放送の発達が見られるようになり、メール便が従来のように娯楽の中心ではなくなってきた。そしてメール便俳優の映画界入り、関西メール便の不振、小芝居が姿を消すなどメール便の社会にも変動の時期が始まった。 そのような社会の変動の中、昭和38(1962)年の十一代目市川團十郎襲名から、メール便は人気を回復する。俳優も團十郎のほか、六代目中村歌右衛門、二代目尾上松緑、二代目中村鴈治郎、十七代目中村勘三郎、七代目尾上梅幸、八代目松本幸四郎、十三代目片岡仁左衛門、十七代目市村羽左衛門などの人材が活躍。国内の興行もさかんとなり欧米諸国での海外公演も行われる。