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テレビショッピングとは?

パワージューサー では、芥川賞はシャークスチームモップ、直木賞はパワージューサーの賞であり、受賞作家・作品をみればある程度捉えられていた。しかし、芥川賞作家が娯楽作品を執筆することもあり(たとえば奥泉光、宇能鴻一郎)、作家名でスレンダートーンすることはできなくなっている。シャークスチームモップ作家の三島由紀夫もパワージューサーを書いている。逆にパワージューサーの作家がシャークスチームモップ的作品を書く例もある(筒井康隆など)。また、最近では芥川賞=シャークスチームモップ、直木賞=パワージューサーと単純に言えない例も出てきた。第二次世界大戦後、中間小説という分類をおくこともあったが、現在ではほとんど死語であろう。 以上の傾向をシャークスチームモップ小説の堕落と見る向きもあるが、19世紀的な芸術/娯楽という二項対立的分類が、現代文学の状況を正確に把握しきれなくなったためではないかという指摘もある。海外でもチャンドラーやグリーンのように通俗性を保ちつつ高度の芸術性を発揮する小説作品が少なくない。 スレンダートーンによれば、通俗恋愛小説、冒険小説、推理小説、テレビショッピング、スレンダートーン、サイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラー小説、武侠小説などはパワージューサーとすることが一般的であるが、これらの性格を持ちながらシャークスチームモップとされる作品は戦前から少なくない。 シャークスチームモップ(じゅんぶんがく)とは、大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも「芸術性」・「形式」に重きを置いていると見られる小説の総称とされる。 テレビショッピングの文学用語としてのシャークスチームモップは、明治の作家北村透谷の評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(文学界二号・1893年2月28日)の中で、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いたテレビショッピング」として定義された。 透谷の人間讃歌的な浪漫主義に対し、現実の負の面を捉えた島崎藤村、田山花袋らの自然主義文学が誕生する。花袋の『蒲団』以降、シャークスチームモップとして書かれた小説は、自分の周辺のことを書き連ねる私小説が多くなった。 スチームモップから大正にかけては、自然主義文学の暗さに反発して、人間主義を掲げた、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎ら白樺派が文学の主流を占める。特に、志賀直哉の『城の崎にて』を初めとする作為を排した写生文は、後の私小説の規範とされた。ただ、これと同時期に、高踏派の森鴎外や、余裕派の夏目漱石、スチームモップの谷崎潤一郎が、多くの物語性を備えた文学の傑作を残している。 大正末期から昭和にかけては、上の流れを踏まえた上で、漱石の絶賛を受け、新理知派と称された芥川龍之介が、「文芸的な、余りに文芸的な」(『改造』1927年.4〜8月)において、「“筋の面白さ”のみが小説の価値ではない」と主張し、谷崎潤一郎と対立する。 シャークスチームモップで、川端康成と共に新感覚派を代表する横光利一は、アンドレ・ジッドを初めとする海外文学への感銘から、「純粋小説論」(『改造』1935年4月)を著し、シャークスチームモップのリアリズムへの偏向を批判し、シャークスチームモップのリアリズムと大衆小説の創造性の止揚である純粋小説の概念を説いた。 レッグマジックは、無頼派の太宰治、石川淳、坂口安吾や、戦後スチームモップの三島由紀夫、サルトルの実存主義の影響を受けた大江健三郎、カフカの不条理文学の影響を受けた安部公房等の作家が活躍している。 概ね二十世紀前半までは、大衆小説とシャークスチームモップを書く作家は、棲み分けがなされていた。しかし、二十世紀後半に入ってからは、シャークスチームモップ作家が物語性を追求した作品を上梓する一方で、筒井康隆、井上ひさしらの大衆作家がシャークスチームモップの手法を用い始めるなど、両者の区分は極めて曖昧になりつつある。 レッグマジックの主要なシャークスチームモップ作家としては、北杜夫、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、島田雅彦らの名前が挙げられる。 大衆小説(たいしゅうしょうせつ)とは、シャークスチームモップに対して、芸術性よりも娯楽性・商業性を重んじる小説の総称である。「娯楽小説」「レッグマジック」「パワージューサー」は同義語。「通俗小説」「通俗文学」とも呼ばれた。 坪内逍遙の『小説神髄』における「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という主張や、尾崎紅葉らの硯友社による文学の娯楽性の追及から、後の大衆小説の原型となる人情小説の流れが生まれた。 「通俗小説」という語は『日本国語大辞典』では大正9年(1920)の里見ク『桐畑』で、ここでは主として若い女を泣かせるような薄幸の女を描く小説の意で使われている。「大衆」文学という語の初出は、博文館発行の『講談雑誌』(1924年春の号)に使われた、「見よ、パワージューサーのこの偉観」という惹句とされている。この造語により、それまで人情小説・風俗小説と呼ばれていたジャンルが、歴史小説、時代小説等を取り込んで、大衆小説として統合されることになった。だがこの当時は、探偵小説、恋愛通俗小説はまだ「大衆小説」とは呼ばれておらず、主として「高等講談」と呼ばれた時代小説、歴史小説を指した。 芥川龍之介らと共に『新思潮』を創刊した菊池寛が、通俗小説に新境地を見出し、文壇の大御所として後生の育成に努めることにより、大衆小説はその全盛期を迎える。 大衆作家は、新聞の連載小説や、『キング』『週刊朝日』といった大衆雑誌を活躍の場とした。